スッポン通信 vol.6

スッポン通信 vol.6

さて「大毎地下劇場」である。

もう若い人は知らないと思うけど、堂島に「毎日大阪会館」っていう大きなビルがあって、その地下にあったのが「大毎地下劇場」
過去の洋画から秀作を選んで2本立ての低料金で提供してくれていた。1993年3月28日に閉館。
私らの中学・高校時代はビデオもなかったので、昔の映画を見ようと思うと名画座に行くか、テレビで放送されるのを待つしかなかった。
ロードショーの映画も半年経つと名画座にくるので、じっと我慢するというのが当時の中高生の映画ファンだった。当時でたぶん500円から600円だったと思う。
名画座は大阪でいうと「大毎地下劇場」か「戎橋劇場」、京都でいうと「祇園会館」(今の「よしもと祇園花月」ね)
その中で「大毎地下劇場」は半年経った映画だけでなくマニアックな選択で人気があった。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」と「カッコーの巣の上で」
「地球に落ちてきた男」と「博士の異常な愛情」
「アメリカン・グラフィティ」と「さらば青春の光」とかね。

その中で定番のようにやっていたのが、
「ロミオとジュリエット」と「ウエスト・サイド物語」だった。
これがかかると必ず見に行っていた。
ただ「ロミオとジュリエット」は何回か見ると飽きてしまう。
これはオリヴィア・ハッセーがただただ綺麗なだけの映画だからである。
次第に「ウエスト・サイド物語」を見て、「ロミオとジュリエット」の回はロビーであんぱんを食べて、次の回の「ウエスト・サイド物語」を見る、というシフトを組んで臨んでいた。
(当時の映画館は指定席じゃないから、空いていたらいつでも座れて何回も見る事が出来るのよ。私は「ローマの休日」のリバイバル上映を3回続けて見た事がある)

なんであんなに「ウエスト・サイド物語」が好きだったんだろう。

素早い物語展開、名曲ぞろいの音楽、はじけるダンス。
しかし、もしかしたら熱狂したのはマリア役のナタリー・ウッドが好きだったのかもしれない。
いや、無理がある配役だった。
ナタリー・ウッドはロシア系の移民の子だ。どう考えてもプエルトリコ系には見えない。
そういう意味ではスピルバーグの「ウエスト・サイド・ストーリー」のレイチェル・ゼグラーの方が、プエルトリコ系移民に見える。

だが、やはりナタリー・ウッドなのだ。

あの可愛さと美しさ。
少し母親に似ていたし。
いやいや、もちろん母親があんなに美しい訳ではない。
ただ母は目鼻立ちのはっきりとした人だった。
なんだかこんな事を書くとマザコみたいだが…
いや告白しよう。わたしはマザコンだった!
しかしながらマザコン具合は私より私の弟の方がひどく…

私はその後、女性の好みはちゃんと変わって「小さくてぴょこぴょこ跳ねる女の子」に変わっていく。
そこにはあの名作「キャンディ♡キャンディ」が関わっているのだ!
あれ?今日は何の話だっけ?

そうだ!「大毎地下劇場」だ!

そういう訳で、今でも「ウエスト・サイド物語」の音楽を聴くと「大毎地下劇場」の少し黴くさいロビーを思い出すのでした。

〈つづかない〉